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2022年2月、ロシアによるウクライナへの全面侵攻が始まったとき、最初に奪われたのは「日常」だった。登校途中の道が戦車に占拠され、学校は避難所に変わった。家族と食卓を囲むこと、外で遊ぶこと、絵を描くこと、眠ること、それらすべてが「安全」ではなくなった。
キーウ、ハルキウ、マリウポリなど多くの都市では、空襲警報が鳴るたびに授業は中断され、地下鉄駅や避難壕が「教室」に早変わりする。教師たちは懐中電灯とホワイトボードを持ち込み、子どもたちはヘルメット姿で授業を受ける。
「学ぶことをやめると、心まで破壊される気がする」
そう語るのは、12歳の少年マクシム。爆撃で校舎を失い、地下で勉強を続ける毎日だ。
インフラが整っている地域ではオンライン授業も行われているが、停電・通信障害・サイバー攻撃が日常的に起こる。それでも教師と生徒は、知識ではなく、つながりを求めてログインする。
「先生の顔を見ると、生きてるってわかる」
キーウの8歳の少女ソフィアはそう話す。
子どもたちの遊びも変わった。レゴブロックでミサイルを組み立てたり、「敵役」としてロシア兵を演じるごっこ遊びが見られる。心理学者たちは警鐘を鳴らす一方で、戦争を理解しきれない子どもなりの処理方法だと認識している。
多くのNGOやアーティストが、絵本やアニメーション、音楽などの表現活動を通じて、子どもたちの心のケアに取り組んでいる。例えば、
絵本『ミサイルがやってきた日』:爆撃を空から来たドラゴンとして描き、子どもの想像力で克服するストーリー。
アニメ『ヒマワリの丘』:失われた家と希望を交互に描くことで、「感情を出すことは強さだ」と伝える内容。
父は戦地へ。母と兄弟で避難先へ。多くの家族が分断されて暮らしている。爆撃のたびに「連絡がつかない」ことが最大の恐怖となり、携帯の通知音に過敏になる子どもたちもいる。
「パパは死んでないって思ってる。だって夢に出てきたから」
10歳のアーリナは、今も父を信じて絵日記を書き続けている。
長女が料理をし、次男が小さな弟のオムツを替える。戦争は、子どもから「子どもでいる時間」を奪い、早すぎる大人への道を強いる。ウクライナの心理学者はこう語る。
「彼らはサバイバーであると同時に、日常の再建者でもあるのです」
避難所やNGOが集めた「ウクライナの小さな子どもたちの声」は、いま世界中で共有され始めている。
「空が怖い。でも青は好きだったから、塗り直したい」
「眠ると爆弾が来る。でも起きてるとお腹がすく」
「お兄ちゃんが死んでも、ウクライナは生きてるって信じてる」
これらは単なる記録ではない。世界に届く命の証言である。
爆撃の下で育つということは「今日だけを生きる」ことではなく「明日があると信じる勇気を持ち続ける」ということです。JoinJapanは、子どもたちの目線で描かれる日常に耳を傾け、その一人ひとりの声が消えぬよう記録し続けていきたいと思います。ウクライナの空が、子どもたちにとってただの青空に戻るその日まで。